第4回 歴史と文化財講座



 当NPO法人の平成24年度事業として初めてとなる、第4回 歴史と文化財講座を6月23日(土)中央公民館 3階学習室2に於いて開催した。

 今回、第一部の講座内容は、江戸幕末の混乱期から明治維新後に発生した多くの江戸民衆の貧困化救済の為に、旧幕府の軍馬を育てる千葉の広大な牧を開墾し、貧困者を救済する目的で明治政府が取り組んだ小金中野牧の開墾に関するお話を、鎌ケ谷市史編さん事業団の天下井 恵(サトシ)氏に『初富の開墾史』として講演していただいた。

 また、第二部として市の職員で学芸員でもある後野 真弥氏に、『第22次中沢貝塚発掘調査報告』とその後、隣接する郷土資料館に移動して、現在資料館で開催中の中沢貝塚発掘調査のミニ展示会場を、後野氏による展示品の説明と写真や資料など見学をした。

 今回、一般市民の参加者は20名弱であったが、郷土の歴史に興味を抱き、当NPO法人の開催する「歴史と文化財」講座に、何度も出席されている方が多かった。講師の方が講座を終えて質問の時間となると、参加者の方から多くの質問が出され、郷土史への関心の高さが感じられた。

講師の天下井 恵氏 江戸幕末の話をされる講師 下総開墾について講演
熱心にメモされる参加者 当時初富の開墾は悲惨を極めた 当時の開墾の厳しさを学ぶ参加者
東京窮民の開拓史を学ぶ 休憩時間にお茶でホット寛ぐ 休憩時間に用意したお茶菓子

 第一部の講座内容の概要は以下の通り:
@明治維新と東京窮民の発生
 明治維新(1868年 慶応4年)の前、既に江戸幕藩体制はゆらぎ、江戸市中でも打ち壊し(慶応2年)、ええじゃないか(慶応3年)が起きていた。江戸城開城により徳川氏と、その旧幕臣の半分1.4万人が駿府へ移住。江戸に残った旧旗本や足軽などは収入が無くなり、生活に困窮した。また武家地の荒廃が江戸庶民の生業の不振を招いて、続く明治元年・2年と不作によって米価が高騰し一気に極貧民+極々貧民が当時の東京市中人口約50万人の20%(約10.5万人)にまで広がり、時の明治政府も東京窮民を救済する方策を打ち出さざるを得なかった。その救済策として一つは東京府に救育所(三田、麹町)二箇所を設け、他にも民間の救育所が出来た。
そして、東京窮民の救済策として下総牧(小金牧・佐倉牧)の開墾が始まった。
A下総牧(小金牧・佐倉牧)の開墾
旧江戸幕府の馬牧は、明治政府により明治元年に牧の部分的な開発が行われた。明治2年には小金牧開墾の行政官達を発布。この明治2年3月15日が開墾記念日に当たる。下総小金牧跡の開墾は「初富」が当地で最初の入植地となり、その後「二和」「三咲」「豊四季」「五香」「六実」「十余一」「十余二」などの地名が残るところが開墾地として東京窮民の町人や武士が入植開墾を行った。
B開墾の構想を立案した人物として東京府判事北島秀朝(ヒデトモ)を紹介された。
しかし、明治2年から始まった開墾地入植後の生活は困難を極め、土地が痩せて作物も麦やサツマイモ程度しか育たづ、入植地の居住環境(初富農舎の二軒長屋、三軒長屋)は劣悪で土間と六畳で間仕切た状態で、粗末で寒風に耐える構造ではなかった。
C明治政府から開墾地の開拓を委託された開墾会社(37名の東京豪商で組織)が、その開墾地を管理したが、結局、開墾のため入植した人たちの生活は開墾会社の権力的な支配の下、貧窮と病死に覆われ次第に脱村者が増えた。当初の思惑通り開墾会社の桑やお茶の作付けは実らず、経営的に立ち行かなくなって開墾会社は明治5年に解散に追い込まれた。
D明治時代を通じて、当初入植した東京窮民及び子孫は、ほとんどが入植地を離れた。その後の開墾地は、主に近隣から入植した農民によって開墾され畑作地帯となった。

講師の後野 真弥氏 第22次中沢貝塚調査の報告 発掘状況を説明する講師
郷土資料館のミニ展示場 22次発掘品の説明をする講師 貴重な発掘品の石鏃(ヤジリ)
22次発掘調査の出土品(1) 22次発掘調査の出土品(2) 昭和37年に発掘した出土品

 第二部の講座内容は以下の通り:
@中沢貝塚22次発掘調査の内容を説明
 中沢貝塚は今からおよそ4000年〜3000年前の遺跡である。全国的に見ても有数の大型貝塚であった。
Aどのような物が出土しているのかを説明
 竪穴式住居跡、土杭、土器、石器、骨角器など日常生活に使用されたもの、土偶、石棒、まじない・祭に使用されたもの、装飾品
B22次調査内容の説明
 発掘調査の場所は、東中沢二丁目の貝柄山公園近くの住宅地。
 最初に中沢貝塚の調査区域の表土を剥ぎ取った後、遺溝の確認調査を行う。その後何本か長方形の溝を掘って、そこから遺跡の痕跡が発見されたら、本格的な遺跡調査として発掘を始める。この調査では土杭や貝塚の他、価値のある黒曜石製の石鏃(ヤジリ)がかたまって発見された。
C郷土資料館で展示している中沢貝塚ミニ展示会場を見学
 後野講師による、展示物の説明が郷土資料館2階のミニ展示場で行われた。今回の講座で説明のあった貴重な出土品である黒曜石製の石鏃も展示されていた。

主催者側として、今回の第4回歴史と文化財講座は、特に江戸幕末以降の鎌ヶ谷の開拓史や開墾の最初の場所が市役所から近い、初富であった事も興味をそそられ鎌ケ谷市史を学ぶ良い機会であったと思う。
参加者の方たちの感想も、自分達の居住する郷土の歴史を知る事は大変興味があって勉強になったと、皆さんには好評であった。次回にはどんな企画で皆さんに喜んでもらえる「歴史と文化財講座」を開催しようかと今からワクワクして構想を練っているところである。確かにこの様な郷土の歴史を知りたいと思う市民の数はマイナーかもしれないが、市民の方がこの様な郷土史を学ぶ場を民間が企画・提供する事はNPO法人として「まちづくりの推進」に多少とも役立っているのではないかと自負している。

(レポート:S.K)