Part 8

ライター千遥

                                                                               
   
    趣きのある周荘への入り口


  2月1日、春節(旧暦正月)元旦の朝を迎えた。もう既に、あちこちから激しい爆竹の音が鳴り響いてくる。さっそくフロントに降りて、馴染みのお姉さんや警備員のおっちゃんに「新年好!(新年おめでとう)」と挨拶する。私でもたまには真面目に話すことがある。ちなみに大晦日は「過年好 !」という。日本語なら、「来年も、どうぞよいお年を !」と言うことであろうか。
 
  先日の約束どおり、10時にはKさんが陳さんや運転手の張さんとともに、ホテルに迎えにきてくれた。元タクシー運転手の張さんは若いがとても感じのよい青年である。目指す周荘(しゅうそう)は上海から約70キロほど、車で1時間20分ほどかかるという。蘇州方面からだと、東南東に位置するようだ。
 
  周荘へ行く前に、上海虹橋国際空港から30キロほどの水郷の街・朱家角に寄る。朱家角(zhu jia jiao)は、「小橋、流水、人家」といわれ、明・清代の町並みを現代にまで長く受け継ぐものだ。石造りの太鼓橋が多い。いたるところに、石畳みの小道や店舗と民家がひしめいている。
 
  「全国歴史名鎮(A Famous Chinese Historical Town)朱家角」と書かれたチケットは絵はがき大の分厚いもの。〆て50元なり。この遊覧券には12か所もの写真が印刷されており、入場記念のスタンプが押される仕組みだ。改めて振り返ってみると、我々はわずか2か所しか見ていなかった。もっぱら水郷の景観を楽しんでいたということか。


  遊覧券の裏には、びっしりと朱家角の説明が書かれている。上海西郊淀山湖畔に近く、江蘇省に接し、交通に恵まれ典型的な魚と米の生産地だという。5000年もの歴史を有し、宋時代に都市が形成された、などと記載されている。石橋は36か所もあるそうだ。

  昼食は、4人揃って村内のレストランでとった。今となっては何を食べたのか殆ど記憶にない。4人で130元(2000円)であった。もちろんメニューはすべて陳さんと張さんにお任せである。
  ここで、たまたま注文したものと違うものをウエイトレスのおねえさんが持参した。このとき、普段は可愛く優しい陳さんが猛烈な剣幕で抗議したのが印象に残っている。中国人は、はっきりと物を言うことを改めて認識した。別に悪気があるわけではない。それが中華民族の習慣なのである。
 食事を終えたあとは、一路周荘に向かう。張さんにとっては、上海近辺の運転は慣れたものである。すべて頭に入っているのか、三車線の高速道路を快適に走り抜けていく。
 
 
   (右の写真は、前夜テレビ放映されていた爆竹)
 
  正月休みのせいか道路はガラガラだ。車が少ないから、日本のように高速道路が渋滞で込み合うということもない。楽々と周荘(周庄とも書く)に到着した。
  周荘は元々は「貞富里」と呼ばれていたという。周荘という名前が初めて歴史に現れるのは、今から900年前の北宋時代とのことだ。当時、周迪功郎という人が自分の邸宅を寺として提供し、それが開墾され荘田となり、寄進されて周荘となったと伝えられている。
 
  周荘は手工業品の生産地として発展したもので、現在もシルク、刺繍、竹製品、白酒などが主な生産品のようである。人口は3000人程度、いわば村全体が観光地化されている。観光施設化された周荘へは無料で入ることができる。が、建物に入るには料金がとられる。また、車は村内への乗り入れは禁止されているので駐車場にとめざるを得ない。それで張さんは見慣れたところでもあるし、お留守番ということになった。
 
  われわれ3人だけがチケットを購入した。受け取ったものは、周荘の絵はがきと入場できる建物などが示されたチケットがセットになっている。料金は全部含めて60元である。これで村内の由緒ある16もの建物を見学することができる。チケットには「中国第一水郷 周荘」と大きく書かれている。よく見ると、「黄山には、中国山川の美が集中し、周荘には中国水郷の美が集中している」などと記されている。

  「山や川の美しさは黄山が一番だが、水郷は周荘が一番だよ」と、それとなく宣伝している。予備知識ゼロのままに訪れた私は、街に歩みを進めるにつれ、その記載された字句に偽りのないことを知らされたのである。

  「周庄為江蘇省歴史文化名鎮,被国家旅遊局命名為首批AAAA級旅遊景区」などとも記入されてある。国によって正式に認定された、4星クラスの重要な文化・歴史的な地区というところであろうか。
  周荘は縦横に張り巡らされた水路と、古い白壁の建物群と石橋などが調和を保ち、往時を偲ばせる落ち着いたところだ。

  「上有天堂、下有蘇杭(天に極楽あり、地上に蘇州、杭州あり)」をもじって、「上有天堂、下有蘇杭、中間有一個周荘(天に極楽あり、地上に蘇州、杭州あり、その中間に周荘あり)」などともいわれるのも、むべなるかな、と感じいったものである。

  周荘は村の中には運河が碁盤の目のように走っており、いたるところに元代(13〜14)世紀に造られた石橋や明清代に建てられた白壁の建物が存在する。静かな佇まいの中を時間が音もなく過ぎていくようである。そんなところが「中国のベニス」と言われる由縁なのかも知れない。


   

この写真は周荘です
〜写真に触れると「朱家角」の拡大写真が表示されます お楽しみください〜 


  周荘には古い町並みがそのまま残る。一緒に行ったKさんから、「ここは映画のロケ地として使われることが多い」との話を聞いた。特に、日本の映画やテレビドラマの製作会社にとっては、最高に便利な土地とのことである。お聞きすれば納得することばかりだ。
 
  何しろ中国映画や昔の中国国土を舞台とした撮影シーンには、もってこいの土地柄である。とにかくコストが安くつく。日本でわざわざセットを作るよりも、俳優やスタッフさえ連れてくれば、衣装や小道具もすべてあるから撮影は容易にできてしまう。というわけである。

  外観はまるで崩れかかったこの建物(
右の写真)、正面に回って2階に上がれば、豪華な調度品や家具に囲まれた「将軍様の優雅な居室」という具合である。
 
  結局のところ、16か所の建築物のうち見学したものは4か所に終わった。広すぎて、とてもとても回りきれるものではなかった。
  最も著名な「張家」は明代の建築物だが、6つの中庭に70もの部屋がある。建物の中を水路が流れ、「車が前門から入り、船が家の中を通る」と表現されているそうだ。また「瀋家」は、豪商瀋家が清代(西暦1742年)に完成したものだが、濠から奥に向かって延びた2000平方メートルの敷地。間口20メートルで奥行き100メートル、五つの門が直線的に配置され、部屋数は100室を超えるという。

  *注)この建築物に関する上記4行の記述と下の地図は、失われた記憶を補うために、「Explore 中国 Travel」より引用したものである。



      


  朱家角と周荘を回る旅遊の1日が終わった。陳さんが買い物があるとのことゆえ、上海市内のデパートに入った。私は1日運転をしてもらった張さんへのお礼として、彼がいつも吸っている銘柄のタバコを探したが見つからず、別のタバコを1カートン求め張さんへの志とした。(つづく)