上海紀行
Part6

ライター:千遥

明けて12月24日の月曜日から授業が始まった。前日の説明会では、初級クラスは正確な中国語の発音練習が中心であり、加えて簡単な会話を混ぜるとのことである。
また中級クラスは発音の訓練をしながら日常会話の習得を目指す、そして上級クラスは会話主体の内容との説明を受けていた。

このクラス分けは日本出発前に、すでに皆が自ら申し出てある。出発前の事前説明では、中級クラスは先生が授業で全く日本語を使わないとのことであった。「日本語ゼロ」の授業では、私には無理だ。で、初級クラスに申し込まざるをえなかった。

授業当初のクラス分けは中級クラスが8:30から11:30迄で受講者は14人、初級クラスは13:30から16:30迄の7人となった。上級クラスは希望者が一人のみゆえ、受講生の居室で先生とのマンツーマンという恵まれた振り分けになった。


   
日中の学生たち

クラスごとに時間帯が異なるのは、エアコンのある空き教室がないため同一の教室を使わざるを得ないとのことである。だが、これは後ほど問題となった。いや、実は私がクレームをつけたのだ。

上海への出発前の説明では授業は午前中のみで、午後からはフリーとなっていた。これがクラスによって授業時間が違うのでは、朋友と同一の行動がとれない。午前中のクラスは、午後から夜遅くまで自分の時間がとれる。かなり遠くまで足を伸ばすことも出来る。



教室の1コマ

ところが午後の授業では、自分の時間は午前と夜のとの細切れになってしまう。そんなことで、一度午後と決まった初級クラスの授業は午前中に変更してもらった。ただ、エアコンのきいた部屋のないのは変わらないから、寒い教室での授業となったのである。

私は折角だから、中級クラスとはどんなものか試してみようと思った。同室の同学は中国語を勉強してまだ1カ月、すでに心は初級一本で決まっているから起きてくる様子はまったくない。
それで、私は授業時間に間に合わせるべく招待所の中にある食堂に一人で出掛けた。

食堂の利用者は警備員など学内勤務の方たちに限られているように感じた。朝食は7:00から8:00まで。食堂内では3人ほどの男性が淋しげに何か食べている。ところが、水産大学の学生たちはまったく姿を見せない。後ですぐ近くの大学構内に立派な学生食堂があるのを見つけた。

招待所の朝のメニューは一つだけだった。お粥と饅頭が一つ、それにメンマのような漬物がちょっとつくだけ。お粥はやっぱり「おかゆ」で水分が多くて、おまけに味が何もない。濃い塩分が好みの私には合わない。私はやむを得ず、おかゆに漬物を入れ、更に塩を頼むことにしただが、塩は中国語でどう言うのか、情けないことに覚えていないことに気づいた。

それで自慢の宝物である「中日/日中の電子辞書」を引っ張り出した。
日本語で「しお」と入力し変換させると、「塩」は「yan(イェーン)」であることを確認する。塩は「エン」だから日本語の発音に近い。一度おぼえたら忘れない単語である。でも発音が悪いとまるで通じない。最後は、電子辞書が私に代わって発声もやってくれるので助かる。こんな新鋭の機械は珍しいとみえ、従業員がみな寄ってくる。従業員は中国語では服務員 (フーウーユェン)といい、スチュワーデスも、スーパーの店員もホテルの女性もみな同じである。こんなことが切っ掛けで食堂の女性たちとも親しくなった。そのあと私が行くたびに、彼女たちは「イェーン?」と聞いてくる。



昼の学食(水餃子)

2元(30円)。硬貨を二つ紙箱に入れて「再見!(ツァィチェン) バイバイ、また来るね」と言って外にでようとした。ところがその帰り際に、一人の女性受講生が入ってきた。当然ながら、食事をとる要領を知らないから、私が「親切、丁寧に」教えてあげた。何せ当方は今実施したばかりだから問題は何もない。

この30歳そこそこの麗しい女性とは、そのあと、授業はもちろん市内観光なども共にすることが多々あって、私が上海留学生活を充分にエンジョイできた一つの要因ともなったのである。朝食は何時行っても同じメニューだったが、夕食はいろいろな中国菜があり結構美味しかった。老酒もボトルで頼んだが、35度もあるのと匂いがきつくて簡単には飲めない。仕方がないからお湯割でのみ、残りは部屋に持っていき、寝酒を楽しんでいた。

                    (続く)

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