上海紀行
Part 15

ライター:千遥

     
蘇州の名園を散策

 蘇州(SUZHOUスーチョー)には地下鉄はない。市内の移動はタクシーか、自動3輪車、人力3輪車または徒歩ということになる。蘇州では、結局これら全ての乗り物に乗った。
 振り返ってみると、レンタルの自転車を利用すればよかったなあと思う。1時間2.5元、一日(8時間)借りても20元(320円)というから恐らくもっともっと効率よく、そして多くの楽しみを味わえたろうし、著名な名所も回れたに違いない。

蘇州と杭州は、
古くから「蘇湖熟、天下足(蘇州や湖州の作物が豊かなら、中国全土の食料をまかなうことができる)」「天有天堂、下有蘇杭(天上には極楽があるが、地には蘇州と杭州がある)」と言われてきたそうだ。それだけ豊かな土地柄なのだろう。
 だが、予備知識を蓄えないままの出発した旅では、ミスしたことが多々あったのはやむを得ない。残念なことに時間に追われ、網の目のように張り巡らされている蘇州名物の運河を見損なってしまったのである


ご利益がありそうな大仏

 名園めぐりは、まずホテルに最も近い留園から始めることにした。ここは10数分で歩いていける。今、手元のチケットを見ると、江蘇省蘇州市園林局の管理で、中国名園などと書いてある。入園料は16元だ。
 次は拙政園、これも中国四大名園の一つ。明の時代からの延々と続いてきた庭園は見事なものである。留園も拙政園も蘇州の4大名園の一。

「拙政園」は官職を追放された王献臣が故郷に戻り造園したものだという。名前は、仕官の道を得ることなく、ここで隠居生活を送った晋代の文学者がつけた。「拙者之為政」=愚かなものが政(まつりごと)をつかさどる、の意味だ。
 ここは特に建物と池との調和が美しい。地上の建物がそっくり池に映っている景観は見事なものである。帰国後にデジカメ画像を印刷したら、これはそのままに再現できた。


中国人観光客でいっぱいだ

 ここで人民解放軍の兵士とめぐり合った。休暇を利用しての観光というわけだ。彼は制服制帽をきっちりと着用し、バッグを肩からさげていた。
 こちらから話しかけたが残念なことに、この若者にはさっぱり通じないのだ


稀希千年神亀

地方から出てきて間もないので、我々の標準語が理解できないのだろう?と勝手に判断していた。まあ仕方がない。まだ20歳そこそこの若き兵隊さんとはあまり会話することなく、庭園内をぶらぶらと散策していた。

 次は寒山寺に行くことにしていたら、彼の行き先も同じところに行くという。外に出て3人一緒にオート三輪に乗り込んだ。幌がかけてある小さな4人乗りのもの。狭いので丸くなって乗っていた。これも10元だ。寒山寺では我々は入り口でチケットを買ったが彼は買わない。胸に写真つきのネームカードをつけているのに、さらに身分証明書を提示した上で入園していた。彼ら兵士はどこでもフリーパスで入場できるらしい。

 寒山寺は一般的に知れ渡っているせいか、観光客が多い。中国人の個人観光や団体客に混じって日本人観光客もけっこう目についた。
 行動パターンは中国人も日本人も変わらない。みなそれぞれに写真を撮りあったりして、園内を回っていく。私は、二人連れの中国人をよく写してあげた。説明文などは、立ち止まってゆっくり眺めている時間はない。後からあとから人がくる。

 日本人のツアー客がきた。幟を持った中国人ガイドが20数名の団体客を引き連れ、ところどころで止まって説明をしている。読んでも理解不足の私は、そのグループのあとについて聞いていた。
 中国の歴史に疎く、寺院、庭園などの知識もない日本人は、ただただガイドの話に耳をかたむけるしかない。


散策を共にした解放軍兵士

 最後尾にいた女性に聞いたら、今日福岡から着いたばかりという。そして明日は上海だ。もう駆け足の旅行だ。 我々はまだ1週間滞在できる。学習の合間に観光なのか、観光の合間に学習なのかは、はっきりしないところだが、まあ同時に双方を体験できるのは有難いことだ。

 一緒に散策した解放軍の兵士とはここで別れることになった。戦争さえ無ければ兵士も一般の庶民と何ら変わらない。最後にガッチリ握手を交わしたその手は、意外と軟らかく暖かかなものだった。
             (続く)


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