上海紀行
Part 13

ライター:千遥

  蘇州・南京6時間を楽しむ

南京まで来てしまったのなら、ここで一泊しても良さそうなものだが、蘇州のホテルに予約してあるからそうもいかない。
 乗り越しのトラブルを解決し、車掌を説得できた要因には一つのメモの存在が大きかった。

朋友の石川氏が我々に渡してくれた蘇州への列車時刻表には、12月28日上海発17時03分で蘇州着が18時44分と書いてある。ところが実際の到着時間は17時47分であった。
 私たちはこのメモをすっかり信じ込んでしまったために悠長にかまえていた、というわけだ。このメモを元に同席の若者に経緯を説明し、彼はそれを間違いなく車掌に伝えてくれたわけである。

 その彼とは駅ホームで堅い握手を交わし別れを告げた。本当に有難う。名前を聞かなかったのが惜しまれたが、どうかこの若者に幸多かれと祈った。


豫園を訪問した村山元首相

私は、在職中によく酔っ払って乗り越してしまうことが多かった。終点まで眠りこけ、帰りの電車できたところを駅員に見つかって往復の料金を請求され、ひと悶着起こしたことが何度もある。
 大体は駅長を呼んでこちらの言い分をとおしたものである。ここ中国でそのようなことが起きなかったのは実についていたというほか無い。

 駅員に連れられて上海方面に向かう列車に乗る。ここでも、乗客の切符を一人ひとりチェックしているのは変わらない。だが、無事乗り込んだものの既に車内は人でいっぱいだ。
 どうしたものかとウロウロ、キョロキョロしていたところに、「日本人?」との声がかかったのだ。嬉しかったなあ!本当に。エッと振り向くと眼鏡がよく似合うなかなか綺麗な女性がいた。

 「大丈夫よ、一緒に来て」という。それで女性の後について通路に溢れた乗客をかき分け、かき分けして食堂車までたどり着いた。


フジフィルムの店(豫園)

 食堂車には4人掛けのテーブルが両サイドにいくつか置いてあり、あまり人もいない。日本ならこんな時、食堂車は満席になってしまうのに不思議なものだった。
 まあ、お蔭様でゆったりと蘇州まで、麗しき人と2時間の旅を楽しむ?ことが出来た。災い転じて福となる。起こりうるから奇跡という言葉がある。まさにそのとおりの事がおきたのだ。

 お世話になった女性は日本人ではなく、南京に住む中国人だった。この人は流暢な日本語に加えて姿形が殆ど日本人と変わらないためか、見ただけでは分らないのも当然だ。


同学生・西宮市の佐々木さん

 スカートを巧みに着用し服装も一般の中国の方たちとは違う。良家の若奥さんという感じ。つくば市に住むご主人のところへ戻るとのお話だった。

 ご主人の仕事先は「旭ガラスだけど、下請けの仕事よ」とか「住まいは茨城県の神栖町で、日本に戻ったら子どもを保育園に預けてパートで働かなくては」などと言われる。でも、「がんばって日本で戸建ての家を持ちたい」との前向きなお話には感動した。
 南京の朋友夫婦が上海まで一緒で、一泊して日本に向かうそうだ。

 日本語ぺらぺらの彼女に私は自分がなぜ中国にきたか、上海の印象はとてもよい、等と中国語を用いて話してみた。どうせなら何でも話してみるのが得策との考えが背景にある。



真昼間に悠々と昼寝する

 「第一次去年3月fen 我去北京。第二次来了上海。(最初は昨年3月、北京に行った。今度は上海にきた)」と言ったら「あら、中国語お上手ね」という。そんなの、ちょっと話していたら直ぐにバレてしまう。でも、お世辞でもとりあえずは嬉しいものだ。

 3月は、3月というだけでよいのだが、3月fenと「fen」をつけたのに効き目があったようだ。その方が話し言葉としては良いらしい。「fenなんてよく知っておられるのね」という。実のところ、これは2年ほど前に丸暗記しただけに過ぎないものだけど。

 どこの国でも、子どもはかわいい。お母さんは、ふざけて車内を走り回る男児を日本語で注意する。
 お母さんからは中国の栗を頂いた。袋ごと頂いたのでちょっと貰って残りをお返ししたら、全部あげるとのことで結局二人で食べてしまった。
 私たちには差し上げるものがなくて本当に困った。 無料で楽々と腰掛けていたのではすまない。服務員に食事を頼んだら定食は一品しかなかった。それでも助かる。これは20元だった。

 蘇州で皆さんとお別れすることになった。またまた名前を聞くのを忘れてしまった。おそらく二度と会えぬ姓名不明の麗人、「南京の人よ、さようなら」。日本でがんばってね!   
             (続く)

 

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