上海紀行
Part 28

ライター:千遥

    上海最後のハプニング

ひょんなことから実現した上海短期語学留学も、今日の木曜日を含めてあと2日となってしまった。時間の経つのは本当に早いものである。  「時間過得真快 !」。

「案ずるより生むが易し」とは、よく言ったものである。考えることよりも、まず走れかな。何事も、やってみることが自分の実になり肉になるものだ。そんなことを実感させられた今回の旅である。 

 明日は、午前中の授業が終わったら杭州に向わねばならない。そんなことで、帰る準備にとりかかることにした。気になるのは日本の友人や家族へのお土産だ。あまり考えることはないとしても、上海の空気を詰め込んで帰るわけにもいかない。それで孫(スン)先生からお奨めのあったスーパーに行くことにした。毎日のように行っていたから、だいたいの見当はつけてあった。
 何しろ歩いて5分だから、気が楽だ。いつものようにバッグを肩から下げ、防寒対策を整えて出かけた。そのスーパーの名前は易初連花、英語名はLoutusである。



豫園の蟹の店

 上海に限らず中国ではスリも多いし、窃盗も頻繁に起きる。自転車や車などが如何にも古いのは、「新しいものは直ぐに盗まれてしまうから」と聞いたことがある。正にそのとおりであることを知った。
 
 ある日のこと朋友とスーパーに出かけたことがある。何ら購入する計画もなく、商品の品質や価格がどんなものか見てまわったとき、出口で警備員に止められた。バッグの中を開けて見せよ、というわけだ。店内ではバラ売りしているものが多いから、自分のバッグに入れて出てくる者が結構いるものと思われる。
 幸いなことに私は何も盗んでいないから無事に通過することができた。店を出たあとで分ったが、店内には手ぶらで入ることや手荷物持参者はロッカーに入れるようにとの注意書きの張り紙があった。


古い町並みと高層マンション

 スーパーは、どこも平屋建てが普通らしい。但し天井がやたらに高い。それと商品が多岐にわたるせいか、建物自体もやたらに大きい。衣類から食料品、電気製品、お酒、お茶の類から洗剤などの家庭用品まで何でも揃っている。真冬だから衣類は防寒タイプが多く見受けられる。そう高価なものは無かったが、日本のユニクロ価格よりは少しばかり高い感じがした。
 酒は白酒が主体である。誕生日や結婚式などの宴会での乾杯は、50度もある白酒でビールは付けたしだから価格も安い。


今日はお客もさっぱりだなぁ

 それではと、土産の調達を始めた。まずお茶だな。お茶も健康や美容に配慮したものがたくさんある。「このお茶なら、きっと痩せるよ」なんて書いてある。中国ではあまり太った女性は見かけないが、どこの国でも女性の考えることは同じ
か。




外灘(ワイタン)の夜景

「あの人にはこれにしようか、それとも、こっちがいいかな」なんて思いながら吟味していると、「あら、日本の方?」と後ろから日本語が聞こえてきた。久しぶりだなあ、日本語は!振り返ると、うら若い女性がいた。
 

 「誰へのお土産なの」と聞くから、「いやぁ、これこれ、しかじか...」なんて言うと、「じゃあ、これがいいよー」。なーんて教えてくれた。身元を確認したら、名古屋の中京大学へ留学中とのことだった。彼女は正規の留学生だが、こちらは半分遊びの留学生だ。このとき格段の語学力の差をしみじみと感じた。


街中の小売店 

お茶を数点みつくろい、次は中国語の仲間たちへの土産だ。これはやはり日本には見受けられない食べ物にした。綺麗な包装のされたものは止めた。中身が分らないからである。それで、ひと目で分る一口食品にした。いろいろな形をしたものがある。色も様々である。
 
 好きなだけビニールの袋に詰めると係員が飛んでくる。天秤で目方を量り価格のバーコードを貼り付ける。これらをいくつか集めたら結構な荷物になってしまった。それらを持ってレジに向う。レジの付近が日本とは違う。日本ではスーパーの中で買い物をしなければ、レジを通らなくても済む。でも、ここは違う。一度入店したら、必ずレジを通過せねばならない。
 レジまでは1人だけ通れる仕切りの中を歩む。



浦東のテレビ塔から見る」

最後のハプニングは、このスーパーの中でおきたのである。私がスーパーに行くには、最初に書いたように歩道の上で電話カードを販売しているIPオバチャンの前を通らねばならない。当然だが今日も会ってしまった。
 たちまち質問攻めに合う。「いつ帰るのか」「1月7日だよ」「でも、明日で授業は終わりだから、明日は杭州に行くよ」。
オバチャンはいつも、上海市内を案内するよ、と言っていた。私は人を信用するほうだから、このオバチャンが金儲けのために市内案内を言っているとは思っていなかった。
 だが、私は自力で殆ど行きたいところは行ってしまった。せつかくの親切に応えられない。残念だが仕方無い。そんなことを忘れて買い物をしていたら、なんとオバチャンがスーパーの中まで私を探しにきたのである。
 貧しさに負けぬあのオバチャンを探して、一年後に同じ場所を訪ねてみた。付近の街の様相も変わり、逞しく生きる彼女に再び会う事は叶わなかった。しかし今でも、心の中に、そして私のCDアルバムの中に、その面影は残っている。
(続く)



 

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