上海紀行
Part27

ライター:千遥

   宗慶齢墓苑からの帰途

     

腹が減っては戦も出来ぬとは、このことか。急速に好奇心が失せてきた。こうなったら、とにかく帰ることが一番だ。もう一目散に宿舎に戻りたくなってきた。また歩け、歩けだ。だが、当然のことながら、さきほど、来た時ほどの元気はでない。


宋慶齢の墓

 夕闇せまる中、電飾華やかなレストランなどが結構目に付くけど、一人で入れる雰囲気はない。あまりにも立派過ぎるのだ。客引きの小姐も、夕暮れに一人で歩くしょぼくれたオッサンには声もかけてくれない。それで路上の屋台を視野に入れながら、適当な食べ物を探すことにした。
 
 串に差したホットドッグのようなものが目に付いた。今は食べられるものなら何でもいい。何も聞かずに一本だけ買ってかぶりついたら、中身はトウモロコシだったのだ。 これは失敗だった。何せ当方は歯が弱いから、堅いものはまるで食べられない。



食欲をそそるレストラン

いくら歩いても、一人で入れるような小さな店は見当たらない。やっぱり立ち食いに徹することにした。暖かい焼いもは量り売りだ。子どもの頃は毎日食べていたから、日本では殆ど食べないけど今は贅沢の言える場合ではない。バナナも天秤の量りでたくさん盛る。一本とはいかぬから、少なめの束を買う。
 
 いつもなら、もう晩酌の時間だ。そうだ!!白酒があった。バッグから先日コンビにで買った白酒のコビンを出し、50度の強いお酒をチョビチョビ飲みながら、ブラブラと歩く。身体が温まって具合がよろしい。もう5時をまわった。勤労者が一斉に帰路に向い始めた。自転車の洪水だ。歩くにつれ、寒さのせいか何か催してきたようである。ところが、こんな時って、なかなかトイレも見つからないものなんだなぁ。暗い路地に入り込んですまそうと思ったけど、地元の人に見つかったら困るからなー。



ちょっと怖い路地裏

 ところが上手いこと暗闇の中に、目指すものを見つけたのである。オジサンが1人ポッンと、トイレの入り口に腰掛けている。一見して、有料トイレであることが分る。オジサンは5角出せという。ポケットの財布をまさぐったら、アレレ!小銭が無いよー。一番小さい紙幣でも10元しかない。恐る恐るだしたら、不機嫌そうな顔をして「不要、入れ」という。そんなことで、タダで用をたしてきた。本当に無かったんだよ。オジサン、ごめんネ。



 随分歩いた気がするけど、さっぱり目的地に着かない。方向を間違ったのかも知れない。ふと見ると明るく輝く大きな店がある。衣料品店だ。ここで地下鉄駅を聞いてみる。
 
 若い女性が早口で「そこの道を真っ直ぐに行って、次を左に、そして少し行くとムニャムニャ...」と教えてくれる。最初のうちは、フムフムと分ったつもりだったが、そのうち次第に理解できなくなってきた。説明が長くて聞いているうちに、前の話を忘れてしまう。こりゃあダメだ。もう先を聞くのが億劫になってくる。ここが当方のまずいところ。「明白了!謝謝!」とお礼を述べた。
 
実際は半分も分らないのに、分った振りをしてはいけないな。まあ、だいたいこんなものだろう、と思った方向にいく。



24時間営業のコンビに
 ところがそのうちに、バスも走らぬような小道に紛れ込んでしまった。人もあまり歩いていない。これはまずいぞ。いつ着けるか当てにならなくなってきたようだ。ここで流石の私も歩いて駅を目指すのは諦めた。
 もうタクシーに乗るしかない。通りかかった車に飛び乗り、「到中山公園」と告げる。タクシーは私の考えた方向と違うほうに向う。5分ほどで人通りも多い公園付近に到着した。運転手が「中山公園に着いたけど、どこで降りるか」と聞いてきた。ここがいい加減な中国語学習者である由縁か。とっさに返事が出ない。




上海駅の地下商店街

「地下鉄駅」と言うつもりが、中国語では何というのか直ぐ言葉にならない。「ウーン弱ったなぁ.....フニャ、フニャ..」と思っていたら、何と幸せなことか、すぐ目の前に地下鉄の入り口が見えたのである。

〜因みに地下鉄は、「地鉄」である〜

 地下鉄に乗ればもう問題は何もない。駅に売店がないのと、壁面に広告が少ないから日本と比べると随分スッキリとした感じだ。

 中国人は1時間位なら、自転車で通うのが普通だから、地下鉄も日本ほど混雑はしていない。が、通勤時間帯はそこそこに混み合う。変わっているのは、そんな人ごみの中を夕刊を売るオバサンたちが通り抜けていくことだ。流石に食べ物を売りに来る人はいなかった。


「ローマ」のアイドルも見える
地下鉄の広告

 ♪行きはよいよい、帰りは怖い♪を実践した1日がやっと終わった
                       (続く)
      

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