上海紀行
Part 17

ライター:千遥

魯迅と日中戦争

悩む魯迅は書いている。

「君子動口不動手
(A gentlman uses his hand but not his hand) 」、「和尚動得、我動不得(If you monk paus you ,why can not!?)」、「造反了!造反了。(Rebellion!Rebellion!=反乱だ、反乱だ)」。

1925年発行の魯迅的第一本雑文集に掲載された「熱風」の中で、魯迅は綴っている。


魯迅の墓

「上海北一帯被日寇焼成廃墟(上海の北一帯が日本軍閥によって焼き尽くされ、廃墟となってしまった)」。「国民党飛机爆撃江西蘇区(国民党の飛行機が江西蘇区を爆撃す)」。などなど、魯迅は次々と作品を出すかたわら日本軍閥を恨み、同胞の間で争う内戦を愁い、そして己の力の無さを嘆き悲しんでいたのかもしれない。

 それから一週間経った金曜の午後、今回最後の旅行地である杭州への込み合う列車の中で、偶然にも魯迅の話がでてきたのである。

 我々は硬座(硬い座席)特急の4人掛けに腰掛けていた。超満員の列車だった。そのとき隣の席に乗り込んできたのは、スーツをスマートに着込んだビジネスマン風の男性であった。

 一見してエリートで40代と思われる彼は、「参改消息」や「パイ球時報」などの新聞に読みふけっていた。やや暫くして我々が日本人と気づき、話かけてきた。けれど何を言っているのか全く分らない。会話は無理だと思ったのか、それからは完璧な筆談になった。


魯迅公園での正月光景

 彼のもつ新聞には、「田中希望中国和平統一」と大きく見出しが載っていた。台湾派の日本政治家が、わが国の統一の障害になっている。などとも書かれている。

 彼は、「田中をどう思うか」と問いかけてきた。これだけは直ぐに理解できたが、即答につまってしまった。「彼女は素晴らしい外務大臣だ」とでも答えたら、彼は大いに満足したであろう。だが、常々外相としての資質に疑念を持っていた私は、安易に同意できなかった。
 
 中国の新聞は田中外相を持ち上げる記事ばかりだったせいもある。こんなところで議論なんかするつもりはない。「日本では今、とても人気がある」位しか言わなかった。
 
 そのうち、次々に過去の戦争についての話になってきた。私はそんな話はしたくなかったが、仕方が無い。付き合うことにした。彼は新聞の上にサラサラとサインペンで書いていく。



上海明珠塔から眺めた夜景
(タイトルをクリックして拡大表示)

「日本人在中国南京大虐殺」「中国人希望中日友好下去」。

 南京大虐殺はあったが、中国人は中日の友好が継続することを望んでいるよ、という。

東条英机(英機)を知っているか? というから、我知道東条英機と答える。

 彼は、
「日本侵略罪悪 芦溝橋事変」などと書きながら話す。そんな時に、「魯迅も日本軍国主義を恨んでいたよ」、との話が出たのである。 中国語では、「日本人民対魯迅非常友好,但魯迅痛恨日本軍国主義」である。

人力車も移動には便利

 あなたはどう思うか、と聞くので、私は、「中国人説:日本軍国主義和軍人是日寇」と書き、「我也痛恨日本軍国主義」と、続けた。 日本人民も被害者だ。多くの日本人民はみな私と同じ考えだ、と伝えた。

  彼は最後に「不包括日本人民(日本人民を含むものではない)」と書き、この話は終わった。

 やれやれだ。
私は多くの中国人が幼い頃から叩き込まれた歴史認識の深さを、満員の列車内でしっかりと知らされたのである。

 この後は普通の四方山話になった。日本の櫻花はきれいだ。とか、中国なら黄山がいいよ、などの話が続き、緊迫した会話はなくなった。

 このような話に遭遇したのは、2週間の滞在中にたった一度だけであった。が、我々は訪問する土地によっては、根強く残る反日、反軍国主義の感情を心に刻んでおくことの必要性も強く思った。もちろん現代の我々がそれで卑屈になることは無い。(続く)

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