ふるさと日記 下

                                                              松永 泉

千人行列



日光東照宮・千人行列

  

 画面をクリックすると拡大表示されます



  今市に住んでいた高校生の頃の記憶では、そばが今市の名物とは知らなかった。当時はまだ、外食する機会が極端に少なかったせいかも知れない。そばの味などまったく覚えていないから、おかしなものである。時おり故郷に母を訪ねるときに、そばが特産との広告や宣伝文句をよく見つけたが、どうしてかな、と不思議に思っていた。
 
  インターネットで調べてみた。「今市とそばの関係」などが書かれている。今市は東照宮や会津などへの宿場町として発達し、その過程から現在にいたる間に、そば店が数多く出店している。それらの店は手打ちそばが多く、しかも「うまいそば」として好評を得ている。家庭でも、そばを打つことが多く当市の「食」文化はそばにある、と言っても過言ではない。などと、書かれている。そうかな、ぜんぜん知らなかったよ。
 
  そばの生産量は栃木県下第二位。自家消費と市内そば店への出荷で全生産量を消費しているという。思い当たる点が一つだけある。終戦前後のあるときから、小学校の校庭はすべて耕されて、そば畑になったいた。広い校庭が一面に、白いそばの花が咲き乱れていた光景が今も思い浮かぶ。
 

 今市市では毎年11月3日の文化の日に、「杉並木まつり&そばフェスタ」が行われている。その主な行事は次のとお
  り。

偉大な文化遺産「日光杉並木街道」を愛着と誇りを持って伝えていくために、過去―現在―未来の歴史変遷をまつ
  りによって表現する。

昭和59年に市制施行30周年記念事業として始められたもので、これを毎年11月3日に開催する。
往時の東照宮参拝行列の再現や勇壮な流鏑馬(やぶさめ)行事、彫刻屋台や神輿(みこし)の行列などを行う。
また、杉並木公園内のお祭り広場では、江戸時代をしのばせる模擬店の出店や演芸なども行い、多くの観光客を
  誘致する。

  今市の特産品は素晴らしい自然とのつながりにあるようだ。これも全く知らなかったことだが、今市市の水は、日本一美味しいそうである。それで、おいしい酒も出来るのだという。そのほか、豊富な杉を利用した線香は、年間生産量で全国の半分を占める。美味しいものに、日光ゆば、たまり漬、日光羊羹などがある。日光と名の付くお土産は、大半が今市市で作られている、と考えて大きな間違いはないと思う。


    

ゆば料理の数々


  長い歳月を経ても今だに変わらないのは、東武日光線の鉄道と市の西方前面に大きくそびえる日光の山々である。上今市駅は場所こそ同じだが、付近で切り出された真新しい杉材でロッグハウス調に模様替えされ、市の物産なども展示される素朴な観光地の風情を見せている。でも、今では無人駅へと変貌を遂げている。昔と同じなのは、やはり、四季の移ろいとともに、そのときどきに美しさを変える山々の表情であっだ。

  今市の景観で最大なものは眼前にせまる日光連山、とりわけ容姿も端麗な男体山であろう。春夏秋冬それぞれに雄大な山肌の装いをみせてくれる。
  たまたま訪ねたこの日は晴れてはいたものの、男体山は何とはなしに靄のかかった感じで今ひとつ写真写りもよくなかった。当時今市市に住んでいた私などは、男体山が示す微妙な表情の変化を読み取ることができた。吹き降ろす風や雲の動き、そして夕暮れに浮かぶシルエットなどによって、これから訪れる天候を予測することができたものである。
  もう一つ、山とくれば次は川である。日光・中禅寺湖から華厳の滝を落ち、遥々と流れくる大谷川である。この川に石を積み上げてプールを作り、月明かりの中、遅くまで泳いでいたことが思い出される。夏の盛りには、手製のガラス箱でのぞきながら石の下に隠れているカジカを捕らえて、河原で焼いては食べていたものである。

  腹のすいた子どもたちは、川の近くの畑から随分と作り主に無断でトマトなどをいただき腹のたしにしていた。このトマトは現在のものとはまるで味わいがちがっていた。今のトマトはまったく味がない。ハプニングもあった。泳いでいるうちに衣服すべてを盗まれてしまい、ふんどし一つで畑の中を隠れるように家に帰ったこともある。川の中は大きな石だらけだったから、飛び込んで、しこたま頭を打ったものだ。
  数十年を経た今回、改めて大谷川の流れをよく観察してみた。その流れは自然破壊の激しい時代をくぐり抜け、いまだに清らかなままであることに驚くとともに、なんともいえぬ嬉しさが込み上げてきたものである。


日光東照宮 秋季大祭 流鏑馬
     
   

馬上から弓で的を射る 流鏑馬

 三つの的を目指す武士

千人行列に参加した白馬の休息      三つの的を目指す武士    
     
                             
画面をクリックすると拡大表示されます                


              

 参道に敷き詰めた砂の上を疾走しつつ、左側の三個の的を射る

  世界遺産・日光東照宮の秋季大祭、神事流鏑馬(やぶさめ)は16日、神輿渡御祭は17日のそれぞれ午後1時から行われた。
  車で日光市街地を抜けると、左に神橋を見ながら右にまわり輪王寺の駐車場に入る。面白いことに、普通の駐車場は一度でたら二度目に入るときはまた料金が必要だが、ここは何回も出入りできる。輪王寺や東照宮は以前に何回も見ているから、当方は入らずに、付近をぶらぶらと歩くことにした。寺の裏手では流鏑馬の本番に備えて、人や馬の飾りつけやお馬との打ち合わせをして武士もいる。そんな光景をカメラに収める。

  昼近くなって腹もすいてきた。境内の小さな食堂の外に並べた席に腰掛け、300年来の味を受け継ぐと自称するダンゴを4串ほど食べてみる。まだ足りない。次はおでん、味がしみて結構いける。ビールを飲みたかったが車があるから、甘酒にした。

  ちょっとくたびれて付近の石に腰掛けていたら、隣にいた青年が話し掛けてきた。「アンニョンハセヨ(こんにちは)」と言ったらニッコリ微笑んだ。彼はガイドブックに書いてある大桜はどこにあるのか、と、たどたどしい日本語で聞く。そんなもの私は知らない。彼のもつ本を見たら、全部ハングル文字で書かれてあった。日本語で説明するのに苦労する。英語はできるか、と聞いたらダメだというから、仕方なく日本語で説明し、彼のもつ東武のチケットで入れる寺院をすべて教えてあげた。

  別れるときに、「ヨン様を知っているか」と聞いたら、「チェジュもいいよ」と答えた。それはそうだ。その彼を写真にとりサヨナラをした。なかなかの好青年だった。


流鏑馬

  流鏑馬は約950年ほど前の平安時代から行われていた。朝廷の行事の際、公家の催しとして近衛の衛兵や武者が射手となり盛んに行われた。そして武家が実権を握るとともに、流鏑馬は武術として発展した。
  全盛を極めたのは、源頼朝公が開いた鎌倉幕府時代に入り、武家の儀式となった以降である。頼朝は平家一族の滅亡は一族が文弱に流れたことが原因であるとし、源氏一族を屈強な武人に仕立てるため、流鏑馬を督励したという。その後廃れたが徳川の時代になって、八大将軍吉宗が復興させた。

  東照宮は吉宗の先祖である家康公を祭ったものであり、徳川家の大事にはたびたび行われていた。頼朝も吉宗も、混乱期・低迷期からの脱却をめざし、精神的な柱として流鏑馬を奨励した。
  現在の流鏑馬は、第二次世界大戦後の混乱状態を脱し復興へのと意気込む当時の世相を反映して、昭和28年に東照宮春季例大祭の奉祝行事として創設されたもの。

  今では海外にまで知られ、英国、ニュージーランド、メキシコなどからも招聘されて日本の古式馬上武術を披露し、民間外交の役目も果たしている。(以上 2004年東照宮秋季大祭のパンフレットから抜粋)


                                                                                           このたびの「ふるさと訪問」では撮影した数々の写真のCDコピーに失敗し、ほとんど壊滅に近い状態になってしまった。でも僅かに、東照宮・流鏑馬も千人行列も残ったものが活用できて良かった。
  千人行列でも緑深い参道に、首都圏各地からの観光客が詰めかけた。さすがに日光である。外国人の姿が目についた。デジカメ全盛時代を反映してか、撮影の好位置はセミプロのような方々に占められてしまい、うまいアングルでの撮影は難しかった。

  慣れた人たちは脚立を用意しており、高い位置から悠々と撮影していた。まあ、来年は私も用意することを忘れてはいけない。

  左記の写真は、杉並木を歩く今市の千人行列である。今市に住む友人から送ってもらつたもの。これもなかなか風情がある。久々にふるさとの行事に接して、感慨を新たにしているわたくしなのです。
 
   


今市市郊外から日光連山を望む


  この二日間は、今市市の郊外・宇都宮市よりのユースホステル「グリーンロード日光杉並木」に宿泊した。母の住む家はあまりにも狭い。迷惑はかけられない。それであえて宿を選択した。どこに泊まるか思案したが、インターネットで検索した結果、今市市内の旅館よりは趣があるだろうと、あえて昔ながらのユースホステルに決めた。

  これは結果的に大成功であった。まず宿主でもある経営者とのふれあいがある。地元のことを親切丁寧に教えてくれる。そこに旅の楽しみも倍加するというものだ。このユースホステルでは近隣の温泉ツアーへの送迎をやってくれたり、栗拾いなどの催しもやっていた。ホテルの周辺一帯はホステルの敷地である。
  朝早く起きた私は、栗林を散策し収穫されぬままに放置されている多くの栗を拾い持ち帰った。これは孫たちへの嬉しい栗ご飯の原料となった。

  今市近辺には温泉がたくさんある。おおむね500円から800円位だから、選び放題だ。私は以前訪れた宇都宮の「ロマンティック村」でゆっくりと温泉の露天風呂なども楽しんだ。今市から車で20分で着いてしまう。ホステルに帰る道から見えた夕日は神々しいものだった。

  刻々と移りゆく山際の景観・色彩は見事なものである。山の稜線がくっきりと浮かび、雲は時々刻々と色合いを変えていく。二度と見られぬ光景と、思わず車をとめてシャッターを切った。シャッターを押すだけの素人ゆえに、実体験した模様を正確には捉えるのは無理だった。
  つたない私の「ふるさと日記」も長くなってしまった。でも、その万分の一でも感じ取って頂ければ幸せである。またつぎは、初春にでも訪ねてみようと思う。(おわり)


戻る