北京パラリンピック 応援記   №4=最終回

                             東部社会福祉協議会   佐久間 真由美

      


            
             

          
 観光客で賑わう天壇公園のパノラマ  joyphoto.com から
        

 9月17日(水)、本日はパラリンピック閉会式。20時の開会までは北京市内観光です。朝一番に向かったのは世界遺産の天壇公園。門をくぐって公園内に入るとおびただしい人々が社交ダンスや新体操似のリボンを使った体操、けまり、ラケットを使った軽スポーツ、歌、各種の楽器演奏など、まるで野外公民館のような風景がつづきます。

       

           
天壇公園の中で 様々に憩う市民たち    クリックで拡大表示します

 人をかき分け、同行のメンバーとバラバラになりそうになりながら通り抜けるのがやっと、と云った感じです。それらを抜けながら登り切ったところに三重の青い屋根を持ち、赤、青、緑、金色で龍や鳳凰が描かれた美しい建物がありました。
 「圜丘壇」(かんきゅうだん)という清の皇帝が冬至の日に五穀豊穣を祈った場所だそうです。ここは故宮博物館の4倍もある広さだそうで、我々は東門から入場したので近距離で助かりました。
            
         
   
              
祈年殿とその遠景      Alan1.netより 拡大表示

 
天壇公園は、1420年に建設された中国最大(270万平方km)の壇廟。北京城の南東に位置し、明・清の皇帝が毎年豊作を祈った。1998年世界遺産に指定された。祭祀の中心となっていた祈年殿(チー・ニイエン・ディエン)は三段の円形石壇の上に建つ。
 


 次に真綿工場を見学。ここでは、蚕から絹の糸を縒り布団やスカーフ、洋服作って販売しているのです。私は真綿で出来た枕を購入しました。(ふっくらとして、今も快眠中です)
 ショッピングの後、豪華な昼食をすませ向かった場所は王府井(ワンフーチン)。北京の繁華街、高級デパート地区です。自由時間を満喫し、集合場所に向かったのですが、広い目抜き通り、何処へ向かっているのか方向がわからなくなり、大あわてになる一幕もあり。携帯電話で連絡を取り合い必死でバスに向かいました。

 そして、胡同(フートン)輪タク観光。観光客の一団が数台の輪タクで列を組み、中国国内、欧米、アジアの人々が輪タクから手を振り、狭い道をすれ違います。自転車を漕ぐおじさんの背中は汗びっしょりです。ゲームでたむろするおじさん、子どもをしきりとしかるお母さん、輪タクをながめて座るおばあさん、狭いでこぼこ道を横切る痩せた犬、ゴミ(ふん?)を回収するよごれた移動式板張りの箱、干された洗濯物、槐樹(えんじゅ)の大きな木陰、そして恭王府の壮大なお屋敷。西太后が書かれたという額。浅田次郎さんの「蒼穹の空」の世界がひろがります。

 胡同内で一般の家を訪問しました。赤い門をまたぐと中庭がありました。瓢箪型のカボチャがぶら下がり、ナツメが実をつけています。建て増しをした入り組んだ部屋に簡素なテーブルやキッチン。窓が小さいのは砂あらしをさけるためだそうです。薄暗い部屋は各国の小さなおみやげが壁に掛かっていましたが、北京の一般家庭を垣間見た気がしました。
 
      

          
  王府井への広い道路と その混雑の様子

       

        
胡同は赤い輪タクで 観光客を歓待する おじさん頑張る
     

 夕刻、閉会式を観るため通称『鳥の巣』と呼ばれる国家体育場へ向かいました。若者は浴衣を用意していました。ツアコンの金さんにお願いして、人通りの少ない駐車出来る道にしばらく止めてもらい、金さんと運転手は下車、バス車内通路で着替えが始まりました。私は前列で、通行人の目に触れないよう日本国旗を広げていました。浴衣に着替え帯を締め、応援団のできあがりです。
                                 
 『鳥の巣』には直接は近づけません。手前の駅で大がかりなチェックを受けてから、電車で向かうのです。金さんは手前の駅近くでバスを止め、我々の帰りを待ちます。
 駅前は二重三重の人混みであふれていました。電車に乗れるのかなぁと思っていると、意外にするすると進んでいきます。見物のみで電車に乗らない人がいっぱいいたのでしょう。ゆったりと電車に乗り、『奥体中心』駅へ。地上に上がると霞の向こうに『鳥の巣』が見えます。そこへ着くまでにいろいろな人々が着物姿の写真を撮りに来られ、なかなか前に進みません。

 6時過ぎ、国家水泳場の青い光が見え出すと聖火が燃えるスタジアムに着きました。座席はこれもまた厳重なチェック体制の中、決められた入場口から確認を受けながらの着席でした。私は荻野夫妻の入場券を預かっていたので夫婦の席(2階)と自分の席(1階)を行ったり来たり出来ました。

 私がスタジアムに入った時はまだ7割程度の入場者で、グランド中央に3人の人が立ち(大きなスクリーンに映し出されていました)何か説明をしています。説明に反応してスタジアムの人々が座席に置かれたバックの中のライトや、スカーフを振っています。
 7時になると選手団が入場してきました。「え!まだ1時間も早いのに」と思っていると、式典は8時から始まるのだそうですが入場だけで1時間ほどかかるとのこと。私の席は裏正面のあたりで、グランドから12列目、聖火の真下に当たる位置です。私の前の10列ぐらいは空席でしたが、そこに選手団がそれもカナダの選手団が着席してきました。車椅子の選手たちはグランドの選手団スペースに集まっていました。

     

       
パラリンピックのフィナーレ    Alan1.net世界遺産ツアーより



 北京パラリンピックは「one world one dream」を謳い、閉会式ではポストマン、ポストガール姿の若い人たち、耳の聞こえない人、目の見えない人も一緒になったパフォーマンスが繰り広げられました。圧巻は、鳥の巣の天辺から何万枚もの真っ赤な花びらが、グランドを埋め尽くす程降りそそぎ、とどろき渡る花火の音、音・・色鮮やかな祭典で締めくくられました。演技者も選手も真っ赤なグランドで手を繋ぎ会場に手をふり、会場からも拍手やフラッシュがキラキラとしていました。席に用意されたバックの中に「はがき」が入っていましたので私は主人宛に応援に来させてもらった感謝を込めて「ありがとう。楽しんでいます」と書き、グランドに置かれたポストに投かんしました。もちろん直接には入れられませんので、会場整理のお兄さんに頼んで・・・。(一週間後中国から記念切手を4枚も貼られたはがきが届きました。)
 
 閉会後、応援の家族の方々と待ち合わせしている時、閉会式のパフォーマンスに参加されたポストガールの一団と出会いました。赤い花びらをコスチュームのはがき入れの中に見つけたので、記念にと頂戴しました。興奮と満足のいく閉会式でした。

 翌18日朝6時30分集合でホテルを出発。北京国際空港へ。中国ともいよいよお別れです。ビル街を抜けると、原野の向こうに朝の太陽と西に「ありあけの月」が見えました・・・・。
4日前タラップを降りたとき見た赤いものは・・、砂塵とスモックで煙ぶる銀色の中空に浮かぶ、悠久の大地を照らす赤い太陽だったと感じました。