北京編 Part 6     ライター千遥

 7月9日(月)、Mさんは仕事があるので、会社に出かける。わたしは、部屋の鍵も団地への入場カードも渡されているので、別に急ぐことはなかった。しかしいくら親しくても、他人の家に一人でいるのは落ち着かないものである。

 それで朝食もいつものように一緒に摂り、揃って地下鉄駅へと向った。ここ数日で大体は付近の様子も分かったつもりだったが、その記憶も当てにならぬことを後で知る。それは後日談とする。地下鉄四惠駅への道は通勤日ゆえに、流石にいつもよりは遥かに人が多い。いつ使われるかも分からない古い線路を渡り、階段を上って駅に辿りつく。駅の構内はさぞかし混雑していると思ったら、予想外に流れはスムーズである。

 その理由は直ぐに分かった。殆どの人はカードの所持者で、改札口の磁気に触れるだけでスイスイと通過していくからだ。これは現在の日本の方式と変わりはない。切符売り場には、僅かな人たちがいるだけである。わたしみたいな田舎者だけが切符を買いに行くことになる ? 面白いのは豪華な高級団地や植栽の見事さ、そしてポストと錯覚しそうな緑鮮やかな電池の回収箱、これまた整然としたゴミ分別箱が用意され、焼却炉もあるのに、その周りに安易にゴミを捨てていく住民の無神経さ。これでも、誰からも文句が出ない不思議さである。犯人は、この高い団地内の紳士・淑女であることは間違いないのだが.....。
 聞いてみれば一日に数回も清掃人が来て、綺麗にしてしまうらしい。こんなところに、マナーの改善されないわけが潜んでいるわけだ。

 また、片田舎のような毎日の通勤道路と、眩いばかりに磨がきぬかれた地下鉄構内との素晴らしき不調和 ?? このあたりが現代中国の抱えた矛盾の様相を確実に物語っている。
 
 帰りがけにふと見たら、オバチャンがせっせと大きなモップで清掃している。とにかくピカピカに磨いているわけだ。
 それほど教育も受けていないであろうオバチャンとしては、寒くもなし暑くもなしの環境の中で、きれいな制服に身を包み仕事につけるのは、恵まれたほうなんだろうと判断した。
 
 勤め人の姿の見られない時間帯は、閑散としたものだ。駅の服務員(駅員)のオバチャンもまた、優雅に見えたのは当方の僻みというべきか。(
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 居住地から地下鉄駅へと向う        すべて拡大表示します

   
写真は左から電池回収箱、分別されたゴミ、駅へのメイン通路、改札口、切符売り場


 わたしは、1元硬貨3枚を取り出し、例によって「(3元区間の切符を1枚下さい)」と言って、1枚の切符を買った。通勤時間帯だから、ホームも混雑している。もちろん電車内も満員だ。でも、ここから先が日本と大きく違うころである。わたしの姿を見た、一人の若い女性がスッと立って席を譲ってくれたのである。私よりも7つほど若いMさんも同様に着席することができた。

 これは中国の素晴らしい教育の賜物であり、伝統でもある。年寄りと見たら必ず率先して座席を譲る。なにしろ決断が早い。どこの国の人間であろうと関係ない。老人に対しての敬いの精神は、よほどの人でない限り持ち合わせている。日本人のように譲るか、ゆずるまいかと思案したあげくに、そのままズルズルと腰掛けていたり、たぬき眠りを企む若者などはいない。
 昔の日本軍国主義時代と同じように、中国の方々は幼い頃から学校や家庭で厳しく躾けられているのだろう。すべてとは言わぬが、日本の若者と比較すると格段の差を感じる。教育とは恐ろしいものだ。

 中国国内の地下鉄車内では、新聞や雑誌などの売り子が頻繁に往来する。各家庭への新聞の配達がないためであろうか。街中にも、そんな小物を売る店が点在する。わたしは、 この車内で北京の地図を買い求めた。
 

 奇怪なことに、街中では4元の正価で売られている北京の地図は、わずか1元であった。偽物とは絶対にいえない10元以上もするビールが2元で飲めたり、1元で地図が買えるなど奇奇怪怪なることが多い。これが中国の大きな特徴でもある。
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 わたしは旅行する毎に中国の各都市で、必ずその地の地図を買い求める。観光客が降り立つ駅頭では概ね10元である。しかし価格格差の大きさを知って以来は、駅前のオバチャンから購入することは止めにしている。

 Mさんは四惠駅から4つ目ほどの建外門で下車した。夕刻、Mさんの家で合流するまでは、わたしの単独行動となった。


                北京の街並み(交通)

 

         
左右の写真は歩道と隣接した緑地帯 中央三つは市内の交通状況


                  
中国人民革命軍事博物館


   

 
改装中の軍事博物館 各国の戦車や航空機 最新鋭の施設も展示 右側から二つ目に迷彩色の航空機
                              
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  その昔中国の要人が来日した折り、東京の首都高速道路の渋滞ぶりを見て、「これが高速道路か」と笑った話がある。北京天安門前の物凄い自転車群もよく知られたところだが、いまや中国の悩みは猛烈な勢いで増加する自動車である。以前、大学生に「卒業したら何がほしいか」と聞いたことがある。そのときの返事は、住宅と車だった。今ではそれが現実のものとなり、国家としての大きな課題にまで進展している。

 上記の写真は通勤時間帯での渋滞の様子である。片側4車線の広い道路も、中心街に向う道は車で溢れ、殆ど動かないときもある。わき道から我先にと割り込んでくるマナーの悪さも拍車をかける。反対側車線を走ったら、さぞかし気持ちの良いことだろう。また、この歩道の広さはどうだ。車換算しても2車線ほどは充分にある。勿体無いような感じがしないものでもない。だが、人が歩いていない! しかし、歩道の隣りには自転車専用道があるから、間違いなく「人道」なのである...。

 話は変わる。

  一人での北京市内の見学先は予め、Mさんとは相談してあった。まずは中国が世界に威容を示す大軍事博物館を見ること。ここには、他の施設にない旧日本軍の設備や軍用品が集中展示され、また世界各国の主要な軍事情報を収納しているとのことで、大変興味があった。

 そんなことで、地下鉄もその近辺で降りた。目指す建物は巨大であるから直ぐに見つかった。だが、この時期は様々な施設を改修中であり、この博物館も例外ではなく大改装中であった。外回りをウロウロしたり、眺めたり写真も撮っていたが、見回りの警備員に怪しまれることもなかった。ヨレたおっさんなどは、「心配もない」と考えたのか。

 入り口などに貼られた案内を見ると、2008年の(オリンピック)を前に、安全のために改修中とある。6月8日の公示で、「6月10日から7月16日までの36日間を閉館する。不便をかけて真に申し訳ない」などと書かれている。もう少し案内文を記述してみよう。

 入場料は成人が20元、学生は10元とある。ただし現役軍人、武装警察官、休暇中の幹部、文学者などは免費(無料)とある。軍人は、著名な上海の豫園などや蘇州の寒山寺など何処でもタダである。戦争さえなければ、中国の軍人は恵まれた職業と言える。
 開館時間は8時から17時まで。日本と比べると、かなり早い時間に開館する。家族と一緒に入館する身長1.2メートル以下の児童は無料。中小学生は(中国では小中とは言わない)、良好な見学をするために毎月第一、第三週に教師が引率してくること。家族同行の場合は9年生(中学3年生)までは、学生証を提示すれば無料とする。また荷物は入場券を見せればタダだが、無くなっても責任は負わない。などなど、とにかく細かい。

 いずれにしろ、ちょうど閉館の時期にぶちあたってしまい、第一希望はあえなくついえた。少し中心街をはずれると車も少なく、気持ちもよい。広い歩道の木陰は涼しくて絶好だ。別に急ぐこともないわたしは、同じように歩道横に腰掛けていた同年齢とおぼしきオッサンと半分も通じぬお喋りに興じた。相手も暇だから、都合よかったというものだ。




                           破壊される建物と旧市街地

   

         両側の写真は同じ通り 中央の三つは その近くで破壊尽くされた建物の残骸


                          貧困層の人たちと障害者の訴え


     

                 北京中心街では少なくなった人力車 動けぬ障害者
                                                  すべて拡大表示します

  全国的に物凄い勢いでインフラの整備を進める中国だが、オリンピックを控えた北京は特にその変化が著しい。昨日までの住居は、翌日には瓦礫の山と化する。中心街の広い道路から一つ裏に回れば、まだまだ懐かしい光景が見られる。道路も店も人々の笑顔も変わらない。わたしなども、ホッと一息できる空間があるにはある。
 しかし、ちょっと目を転じればほんの少し前までは人々の暮らしのあった街はなく、生活の匂いすらも感じられない景観にぶち当たる。壊された後には高層マンションが建設される。確かに街は立派になる。道路も広くて素晴らしい。どこもかしこも、同じような高層マンションばかりになって、本当に国民は幸せなんだろうか。大好きな中国だが、何か寂しい気持ちである。

 オート三輪車も人力三輪車も、リヤカーも少なくなってきた。もう何十年も使ってきたようなものしかない。でも歴然と存在する。Mさんは言われる。「小さな人力車などは決して乗らない」と。車にぶつけられたら、いちころだからだ。それを聞いて、わたしもタクシー主力に切り替えた。懐かしい乗り物だが、命には変えられない。また一つ楽しみが減った思いがする。

 前にしばしば見かけた物乞いも少なくなった。北京では滅多に見ることはない。このたびは裏通りで、道路に倒れている一人の女子学生を目撃した。あまりジロジロと見るのは失礼だから、ちょっと見て写真を撮らせてもらっただけである。足でも悪いのか働けない様子だ。かたわらに自ら書いたと思われる抗議文のようなものがあった。
 
 「基本的人権は、どうしたの ?」「法律は、どうなっているの ?」「政府は、誰のためにあるの ?」などと書かれているようだ。情報化の時代である。世界の出来事は一瞬のうちに各国を駆け巡る。発展する国の一方で置き去りにされる人たち。ひと昔前なら、こんな行為は出来なかったであろう。それだけ中国の民主化が進んだ証なのだろうか。か弱い人々へ、優しい手が差し伸べられる日の来ることを、心より願ってやまない。(つづく)