冬の大連 かけ歩き

                                                       ライター 千遥

  1月22日から24日まで2泊3日の日程で、冬の大連と旅順に出かけた。天津師範大学には鎌ケ谷市在住の知人がいる。
  その方は天津日本人教師会の会長をされている。そこで昨年後半、この大学の招待所 (宿舎) を拠点に北京、天津、大連、瀋陽からハルピンまでの中国東北地方一帯の一人旅を考えていたが、旅行日程の作成にもたもたしていたら、冬場になってしまい昨年の訪問はならなかった。
 正月も開けたある日のこと、新聞の旅の広告で格安ツアーが目にとまった。寒さ厳しい中での大連便はとにかく安い。すべての食事や交通費などを含めて39,800円也。極端な話、これだけで行き帰りができる。
中国の通貨・人民元は前回訪問どきの残額が充分ある。これに若干の日本円を所持して出発した。

  日航機に乗り込んでみたら、乗客は半分もいないではないか。冠雪した美しい富士を左手に見ながら日本列島を横断し、ソウルの南をかすめて大連へと向かった。時速800キロという速度なのに、ゆっくりと富士山を眺めることが出来た。大連は晴れ、気温マイナス4度からプラス3度とのアナウンスがあった。
  飛行時間は3時間20分である。ほぼ定刻の11時50分、大連空港に到着すると現地の中国人ガイドが目印の旗を掲げて待っていた。ここで人数を確認すると、直ぐに専用バスに乗り込み旅順へと向かった。そのとき初めて、今回のツアー参加者が21人であることを知る。
 
  たまたま出発日の前日に、NHKテレビ「そのとき歴史が動いた」で日露戦争の特集を再放送していたため、旅順口の様子や203高地の映像は記憶の中にあった。ロシア軍の塹壕などは月日を経て浅くなっていたが、まさにちょうど100年前の1905年に日露戦争は終結したのである。ずいぶん古い歴史上の出来事とも思えたが、わずかな月日で世界は激変することを改めて知る。乃木希典大将とロ軍の将軍ステッセルとの会見所は当時のままに残されている。二人が会見で相対したテーブルは負傷兵の手術台だったのだ。当時の医官の名前により直筆で具体的に記されている。



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会見所  日露両軍の記念撮影 手術台であったテーブル


  かつての砲台が残るそばには、日本軍人の鉄兜や陸海軍の制服制帽も展示されている。抜け目のない中国人によって戦地も観光地化されているが、その軍装をまとって記念写真を撮る日本人がいることにはあきれて物もいえない。大連市内は美しく整備され、ロシアや日本の租借当時の建物もそのまま残されており、異国情緒にあふれた街でもある。特に中山広場(zhong shan guang chang)の周囲には旧ヤマトホテルや横浜正金銀行など日本統治時代の多くの建物が連なっている。
  朝早くひとりで公園に向かった私は、大音響のスピーカーの伴奏とともに中国ディスコや太極拳に励む方たちを目にした。近所の人たちにまじり通勤途上の人も見かける。ここで、この音響設備を持ち込んでいる一人の中国人と知り合いになる。   



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早  朝  の  中  山  広  場

 彼は71歳というが若々しい。41年間毎朝7時から8時まで、ここにくる。名刺には主持とある。主持とは、主管者、主宰者の意味である。本職はどうも船の操縦士らしい。翌日また訪れたら、老朋友(古い友だち)と呼ばれた。私は「今年夏天一定来大連(今年の夏、きっと大連にくるよ)」と告げて再会を約束した。



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大  連  市  内  の  ヒ  ト  コ  マ


 もう一つ面白いことをお知らせしましょうか。最近は日本でも偽札が横行しているが、中国は正にニセ物天国である。有名ブランド品などは片っ端からコピー商品が作られてしまう。大連駅のすぐ目の前、そのコピー商品のみを販売している店に連れていかれた。地下一階に入る入り口には鉄の門があり、階段を下りるとジャバラ状の密閉された厚いトビラがある。それを抜けると内部は立派な店になっていた。販売員のお姉さんは皆、日本語ペラペラである。ここでバッグから財布など、あらゆるものが陳列され売られている。我々が店を出たら2か所のトビラは外から完全に錠がかけられてしまった。 



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中  山  広  場  を  囲  む  日  本  時  代  の  古  き  建  物



 旅行会社から渡された手帳には、「コピー商品は輸入禁制品とされており、日本に持ち込んだ場合は税関から原則積戻しするか、任意に放棄するかかのどちらかの方法をとるよう命じられている」と書かれている。なのに、わざわざコピー商品販売の専門店に案内していくとは、どういうことか。目下この矛盾する事実に関して旅行会社に問い合わせしているところである。
 いずれにしても、建前と現実が並存する国、それが中国のかかえる一つの大きな矛盾点なのかも知れない。わが国の23倍の面積と10倍もの人口を有する中国は、ひと括りでは断定できない様々な問題点を包含していることは間違いないところだろう。これからも、いろいろな経験を重ねながら普通の市民レベルでの旅を楽しみたいものである。(完)
 


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古き路面電車 旧満鉄本社
旧満鉄社員社宅